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ソリスト内加賀野 市民の歴史探究館

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岩手県盛岡市上ノ橋町2−6 マップはこちら

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2015-10-16 16:58:26 一覧に戻る

市民暮らし物語「懐かしの時代(2)歴史的大改修の上ノ橋」

投稿者/ヤマコー

  • 明治~大正

  • 昭和20年代盛岡

懐かしの時代(2)歴史的大改修の上ノ橋  山田 公一(市民の歴史探究館)



 10月から来年3月まで盛岡の上ノ橋は大改修工事が始まっている。
1910年中津川大洪水で幕末からの橋が流失して翌年に木橋で造られたものが有ったが、大正末からの路線バスが通行するなどして木製の路盤が時折壊れて抜けた等の歴史がある。
 1930年の都市計画で本町と天神通りを繋ぐ重要な区間となり、戦時に備え?戦車の重量にも耐えるコンクリート造り、当時としては斬新な構造で35年に架け替えられた。一説にはそれまでの部材は初代富士見橋(44年流失)に替わったという。
 1968年1月「街もりおか」誌創刊号で私の父山田勲が盛岡の史跡として記事を寄せている…昭和十年十一月、今の上ノ橋が竣工した。時の市政は欄干は桧造とし従来のように擬宝珠を置き、これにふさわしい灯籠を設けた。当時工費六万五千余円という…この擬宝珠は戦時うく金属供出となるところ、郷土史家太田孝太郎氏独力でこの保護に努めて敗戦直前の8月4日に国の重要文化財に指定された。橋脚西詰に橋由来の碑が建てられてある…
 欄干が朽ちて危険となり巨費を投じて1967年に更新したが、70年国体開催を前に再度整備した時だったか?外観が一見ピンク色に見える結果となり市民からの苦情が殺到した。今回大改修はそれ以来のもので特に緊急性を考慮した応急措置。市民の協力が望まれる。
 1935年当時に一日の交通量が一万近いものになるとか、十トン以上の大型車両も通過するなど想定している筈はない。戦前から1980年頃までの都心循環バス路線「山賀橋線」は上ノ橋通過を避けていた。その割りにはこの橋に交通量が集中し過ぎ、街路整備も追いつかず近年急激に劣化が進んだものと思う。


上の橋 中津橋三橋の一つ。勅許を得て京の加茂川に模して架橋、
青銅の擬宝珠は重要美術品に指定され、慶長14年の核銘がある。


参考:盛岡市中津川橋梁調査1970年(盛岡市教委)
 

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